映画「エンテベ空港の7日間」公式サイト 2020年4/15(水) DVD発売! » STORY

1日目 1976年6月27日 日曜日

イスラエル・テルアビブ発パリ行きのエールフランス139便が、経由地のアテネを飛び立つ。だが高度に達した直後、その飛行機は重武装した4人のテロリストにハイジャックされる。犯人のうち2名は、パレスチナ解放人民戦線・外部司令部(通称:PFLP-EO)のパレスチナ人メンバー。残り2名は、パレスチナの大義に同調するドイツ極左の過激派グループ“革命細胞”(通称RZ)のメンバー、ヴィルフリード・ボーゼ(ダニエル・ブリュール)と、ブリギッテ・クールマン(ロザムンド・パイク)だった。ボーゼは早々と、操縦室を制圧。機長以外は操縦室を出るよう命令するものの、航空機関士のジャック・ルモワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)は拒絶する。恐怖に怯える乗客たち全員のIDとパスポートを犯人たちが没収するなか、飛行機は南へ方向転換。リビアのベンガジで燃料を補給し、体調不良を訴える自称・妊婦の乗客1人を解放したのち、ウガンダのエンテベ空港へと向かう。

事件の一報がイスラエルの首相イツハク・ラビン(リオル・アシュケナージ)に届いたのは、国防費を巡って国防大臣シモン・ペレス(エディ・マーサン)と攻防を続けていた閣議の最中だった。そっと手渡された1枚のメモの裏に、質問を書き留めるラビン。やがて、乗客239人のうち83人がイスラエル人だと判明する。

半年前

ドイツ、フランクフルト。ボーゼがブリギッテとフアン・パブロに、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のジャベールを紹介。ハイジャックについての話し合いがもたれた。支持を失い、構成員の多くが獄中にいる彼らは、事件を起こして若者へのアピールを計るとともに、同胞の釈放を求めようとしたのだ。その後、イエメンのPFLP訓練所でウルリケ・マインホフの自殺を知らされたボーゼは、彼女のためにも活動を続けると返答。ウガンダの“異常者”イディ・アミンに命を預けることにフアンは反対するが、ウルリケに罪悪感を抱くブリギッテは、彼の言葉に耳を貸そうとしなかった。

2日目 1976年6月28日 月曜日

イスラエルから4000kmも離れた、エンテベ空港へ降り立つ一行。アミン(ノンソー・アノジー)大統領の出迎えを受けたのち、空港ビルの旧ターミナルに監禁される。空港で待っていたワディ・ハダドは「交渉は任せろ」とボーゼらに言い残し、アミンと去っていく。劣悪な環境下に置かれた乗客の体調を憂慮するルモワーヌは、ボーゼに直訴。ボーゼは環境の改善を約束するとともに、「いずれ俺が正しいと分かる」と答えるのだった。その夜、ドイツ人の人質女性が錯乱状態になる。鎮めようと外へ連れ出したボーゼは、彼女がナチ強制収容所にいたことをその腕からみてとるのだった。

イスラエルでは、ハダドの犯行だろうと断定するペレスに、ラビンが現地への出兵方法を考えるよう指示を出す。

3日目 1976年6月29日 火曜日

エンテベ空港では、人質がイスラエル人と非イスラエル人に選別される。イスラエル人を一部屋に集め、爆発物で取り囲むためだ。横暴な“仕分け”に混乱する人質と、「俺はナチじゃない」と憤るボーゼ。そんなボーゼを尻目にブリギッテは、「抵抗すれば撃つ」と機関銃を手に人質を威嚇する。だが非情に徹するブリギッテもまた、人知れず葛藤と闘っていた。

イスラエルでは、特殊部隊司令部の動きが活発化。だが首相官邸では、ハイジャック犯との交渉を検討するラビンと、「囚人52名の釈放要求など呑むわけにはいかない」と反発するペレスとの溝は深まるばかりだった。ペレスは、アミンが乗っているベンツの

4日目 1976年6月30日 水曜日

前日にイスラエルの将軍から電話を受けたアミンの提案で、人質の一部、48人が解放される。カメラの前では笑みを湛えて人質を送り出す一方、アミンは残された人質の前で、イスラエル政府が交渉に応じなければ子どもを殺していくと恫喝する。交渉の期限は、翌日に迫っていた。

5日目 1976年7月1日 木曜日

朝。水が出なくてトイレが使えないことから、ボーゼの監視下でルモワーヌが給水設備を修理する。「パレスチナ人のためなら人質を殺してもいいのか?」ルモワーヌの言葉に、ボーゼの心は揺れ動く。
テロリストと交渉しない方針を示してきたイスラエル政府も、態度を軟化。人質家族の姿を目の当たりにしたラビンが、交渉に応じると表明したのだ。

イスラエル政府の方針転換を受け、犯人たちは期限を日曜に延長する。だがその夜、勝利に浮かれるボーゼに対して、ジャベールは厳しい言葉を浴びせていく。同じ頃、ペレスたちは救出作戦の最終確認に入っていた。

6日目 1976年7月2日 金曜日

交渉に応じてきたイスラエル政府への善意の証として、人質のフランス人全員が解放されることに。だがエールフランスの乗員たちは、残ることを決意する。帰国する人質に、ルモワーヌは妻への手紙を託す。

指揮官のヨナタン(ヨニ)・ネタニヤフ中佐のもと、救出作戦の演習をおこなうイスラエル特殊部隊。夜の闇に紛れて新ターミナルの滑走路に着陸、アミンとその護衛を装ったリムジンで旧ターミナルへ行き、敵を壊滅して人質を輸送機に乗せて戻る作戦だ。承認を待つ隊員のなかには、ダンサーの恋人と暮らすジーヴ(ベン・シュネッツァー)の姿もあった。

7日目 1976年7月3日 土曜日

イスラエル特殊部隊が、エンテベ空港へと出動。政府が人質救出作戦を承認し、機上の部隊に<サンダーボルト作戦>遂行の命が下る。

空港の新ターミナルでは、憔悴したブリギッテがフアンに電話をかけていた。「これが終わったら、故郷をみつけましょう。どこか平和な場所を」けれどその声は、最愛の人に届くはずもなかった……。